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街はタイムマシン-自由が丘の歴史-


「自由が丘」と呼ばれるこの土地はもともと荏原郡碑衾町大字衾字谷畑中という地名であり、農家が60戸ほどある、竹林の多い郊外のどこにでもあるような村のうちの一つだった。

1927年に電車が敷かれ駅ができ、現在の自由が丘の始まりとなるのだが、その時の駅名は“九品仏前”駅。同年に自由教育の提唱者であり有名な教育家である手塚岸衛(1880‐1936)が自らの理想を体現するための学校“自由ヶ丘学園”を現在のピーコックの場所に設立する。ここに「自由が丘」という名前が世の中に登場した。本当は“自由学園”としたかったそうだが、その時すでにその名前の学校が他にあり、自分の学校を創ろうとしていた敷地の中に小さな丘があったことから“自由ヶ丘学園”としたそうである。この丘、大正時代の地図にあたっても表記があり、現在でもピーコック駐車場学園通り沿いの段差に名残をとどめている。また、この「自由が丘」という名前を着想した源には、手塚がヨーロッパで自由教育を学んだことにもあるのではないかと思う。1920年代、芸術文化の中心はパリであった。まさにエコール・ド・パリの時代、新進気鋭の芸術家や思想家がモンパルナス(montparnasse)やモンマルトル(montmartre)に集まっていた時代だ。そしてフランスの国家標語は“自由・平等・友愛”である。この“自由(liberté)”と“モンマルトルの丘”のイメージから「自由が丘(montliberté)」という、とてつもなく斬新なネーミングが生まれたのだと思う。自由が丘の“自由”は英語で言うと“freedom”ではなく“liberty”だ。フリーは“制約のない状態”という意味の自由だが、リバティは“闘い・運動を通じて手に入れた自由”という意味で、完全に思想や政治の用語である。現在の僕たちは、この「自由が丘」という名前にあまりにも慣れてしまっていて違和感を感じないが、よくよく考えると“民主が丘”とか“共和が丘”といったニュアンスだ。いやいや、“自由(liberty)”という言葉には反体制的な意味合いも含まれているので、戦争にむかい日に日に自由がなくなっていく当時の人達には、より強烈なインパクトがあったと思われる…。自由が丘にある雑貨店“私の部屋”の創業者であり、19世紀仏文学者ロートレアモン研究家でもある前川嘉男(1930‐2010)が自由が丘商店街振興組合理事長だった時、当時の“自由が丘オフィシャルガイドブック(2001年発行)”に寄稿した文章が、その時代の空気感とこの町の住民の感覚を伝えているので、ここで引用したい。

『自由が丘の凄いところは、なんといってもその名、ネーミングだ。1930年代の日本で“自由”という言葉は、メジャーな権力からみればほぼ禁句だったのに、住民の力でそれを正規の町名にしてしまったのだから凄い。おまけにその後、お上の町名変更の要求にも屈しなかったというのは、ほんとうに凄い。ぼくらは先輩に敬意を表し、この誇らしい町名を守りつづけたい。』


「自由が丘」という名前は手塚が自分の学校のためにつくったワードなのだが、その後急速に拡散していく。“自由ヶ丘学園”開校の次の年(1928)に、手塚がヨーロッパに行く船の中で知り合った前衛舞踏家・石井漠(1886‐1962)がこの土地にやってきて、自らの理想を叶えるための舞踏研究所を開設する。この石井が碑衾町大字衾字谷畑中というこの村の地名が気に入らず、「ここを自由が丘と呼ぼうじゃないか」と勝手に決めてしまった。石井は時の超有名人であったこともあり、郵便物も“自由が丘 石井漠”で届くようになり、この「自由が丘」というワードが世の中に広まっていった。1929年には駅名が“自由ヶ丘”駅に、1932年には地名も正式に「自由ヶ丘」となる。手塚や石井の人間的な魅力も大きかったとは思うが、この「自由が丘」という名前が、芸術家や作家などの文化人、そしてフロンティアスピリッツに溢れた商人たちをこの地域に呼び寄せ、1935年ころにはすでに“文化の香りのする街”としての成長をみせていた。1950年代には映画館6館を擁する“映画の街”として、その後も“雑貨の街”“スイーツの街”“ビューティーの街”…と、時代とともに街の景色は変化しつつも、文化発信度の高い街として発展し続けている。


「自由が丘」という名前がついて、もうしばらくすると100年だ。今、この土地に生きる僕たちも、手塚や石井をはじめとするこの街をつくってきた先輩たちのスピリッツを、常に胸にもって生きていきたい。

「自由が丘」という地の上で。いや、「自由が丘」という名のもとで。


西村康樹



※2020年3月19日発行 自由が丘オフィシャルガイドブックVol.30 (昭文社)掲載

特集「街はタイムマシーン」(P42~P45)より西村康樹 執筆

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